院長紹介

安城ひがしやま歯科こども矯正歯科 院長
神谷 明光 Akimitsu KAMIYA
略歴BIOGRAPHY
  • 2015年 愛知学院大学卒業
  • 2015年 岡崎市民病院 歯科口腔外科 勤務
  • 2017年 愛知学院大学 顎顔面外科学講座 専攻生
  • 2017年 岡崎市民病院 歯科口腔外科 後期研修医
  • 2018年 県内医療法人2医院勤務
資格QUALIFICATION
  • 公益社団法人 日本口腔外科学会 認定医
ご挨拶GREETINGS

こんにちは。安城ひがしやま歯科こども矯正歯科、院長の神谷明光です。 この度は、地元の安城市で開業する事となりました。

私は安城北部小学校、及び東山中学校出身の、生粋の安城市民であります。 安城を出てから名古屋の大学に通い、大学の最先端の治療を学び、さらに三河大型病院である岡崎市民病院にて勤務をしてきました。

私が経験して身につけてきた幅広い知識や最先端の技術を、なんとか地元の方々にお返しできるような医院を作って行きたいと思います。 ずっと過ごしてきた安城に親しみを込めて、恩返しをして行きたいと思います。 よろしくお願い致します。

院長 神谷明光のご紹介

誕生

1990年7月神谷歯科医院の長男として生まれました。 生まれた時からあなたは歯医者になるんだよと言いきさせながら育ちました。 しかし、長男に生まれたからといって、順風満帆というわけではなく、何をやっても上手くいかず、運動も勉強も同級生に先を越されていました。 姉と妹に挟まれ、女社会の中で育ってしまったこともあり、周りの目を気にしたり、波風立てないようにひっそりと過ごしていた、シャイな子供でした。

東栄幼稚園時代

医院の真裏にある、東栄幼稚園(現東栄こども園)で育ちました。 東栄幼稚園は自由を育んでくれる幼稚園で、常に外で活発に遊んでいました。 当時あった東栄幼稚園の山で、砂遊びをしていた事を今でも鮮明に覚えています。 今でも東栄こども園を見かけるたびに、当時の思い出が蘇ってきます。 そんな中でも家族からは歯医者になるんだよと声をかけてもらっており、子供ながら本当に歯医者になんてなれるのか、不安を抱いていました。 また、子供の頃から病弱で、喘息の発作が出るたびに安城厚生病院に駆け込み入院して、幼稚園を休むという生活をしていました。 今では体力もつき、発作もほとんどなくなりましたが、病室で1人待つ事の寂しさを今でも思い出します。 姉や妹を見て健康な身体でいたい!そんな感情があり、より一層医療の道を考え始めたのかもしれません。

安城北部小学校時代

北部小学校でも活発に遊ぶ子でした。 しかし、病弱だった影響もあり、あまり走る事が得意ではありませんでした。 今思えば、マラソンの練習で少し走るだけで喘息の発作が出て次の授業は、呼吸を整えるだけで1時間使ってしまい、大変だったと思います。 そんな中、少しでも体力をつけようと、子供会でのソフトボールのチームに入る事になりました。 しかし、当時の梅こども会(現在の星の子)のソフトボールチームは、北部小学校で一番弱小チームでした。 他チームと試合をした時には、よくスコアが0-38など大差で負けていたのを覚えています。 しかし、5年生の夏にコーチから「このままでいいのか」という声かけのもと、夏休みを使って猛練習を始め、なんとか他チームとも良い試合ができるようになりました。 いつのまにかボロ負けすることは無くなり、チームとして成長する事の大切さを知りました。

東山中学校時代

東山中学校時代も野球部に入り頑張りました。 しかし、やはり運動オンチだったので、ほとんどバット引き係で終わりました。 ここですでに運動に関しては、他の子と競い合うのは得策ではない事を知りました。 ですが、中学校からは勉強も難しくなり、少しずつ他人と比べられる機会も増えていきました。 中学校時代も、歯医者になれと言われ続けていたので、勉強は必死に頑張りした。 テスト前は1日10時間以上勉強して、運動とは違い勉強はコツコツ続けることができました。 東山中学校のシンボルカラーは「緑!」です。 なので、安城ひがしやま歯科こども矯正歯科のシンボルカラーも緑になっています。

安城東高校時代

中学時代は必死に勉強し、なんとか安城東高校に入学することができました。 しかし、入学したのと同時に、中学時代との勉強の難しさのギャップを感じ、カラオケやテニス部の活動に逃げていくようになりました。 そんな生活なので、成績もどんどん落ちていき、先生から歯医者になるなんて無理!!!と30回は言われたと思います。 しかし、高校3年生になったと同時に、ならなきゃ!精神が働き必死に勉強し愛知学院大学歯学部に入学する事ができました。

大学時代

大学時代は、高校時代の反省を生かし、外れた道にはいかずに、勉強と上下関係の厳しい部活に身を置き、努力していく事にしました。 部活はテニス部に入りましたが、テニス部は全ての部活の中で一番厳しいという噂も立つくらい、練習量と上下関係が厳しかったです。 しかし、そこで培った「チームを支えていく組織作り」が今でも教訓になっています。 約40人ほどのチームを束ねていかなければならないため、リーダーシップやマネジメント能力が必要となってきます。 面倒が見切れていないメンバーが内容に組織をまとめて、先輩方の意見も反映させていかなければならないという難しい立場を経験して、より一層成長できたと思います。

岡崎市民病院時代

卒業後は、岡崎市民病院に勤務する事になりました。 なぜ歯科医院ではなく、岡崎市民病院かというと、大きな病院で勤務をする事で、普通の歯医者では知り得ない、身体全体の管理や大きなオペなど、たくさん経験できるからです。 また、夜中でも急患が来ると、救急外来から呼び出されて、病院に戻り治療をしなければならないという、過酷な環境に身を置き、成長していきました。 今でもその経験が生かされており、介護施設での口腔ケアや摂食指導、訓練など担うことができるようやになりました。 今でも岡崎市民病院とは連携しており、厳しく育てていただいた恩を感じています。

歯科医院での勤務時代

岡崎市民病院や大学病院などでも行われている、矯正治療のためのオペ症例を目の当たりにしていました。 そこから徐々に歯科矯正学を、学びたいと思うようになり、矯正を、しっかり学べるような歯科医院で就職することができました。 今では毎月200症例ほど、矯正患者さんの治療に携わることができ、最先端の技術を習得することができました。 子供の頃から何にもセンスのない少年が、少しずつ成長し、なんとか歯医者になることができ、これからは得た知識や技術を、地元の方々に返していけるようや歯医者になっていこうと思います。

副院長紹介

安城ひがしやま歯科こども矯正歯科 副院長
神谷 沙彩 Saaya KAMIYA
略歴BIOGRAPHY
  • 2009年 南山高校女子部卒業
  • 2015年 愛知学院大学歯学部卒業
  • 2018年 県内歯科医院にて勤務
ご挨拶GREETINGS

私は歯医者という職業が大好きです。 物心つく前から筋金入りのインドア派で、昔から、楽器を演奏したり、絵を描いたり、DIY・手芸など物を作ったり…と、手先を動かす事がとっても大好きでした(ちなみ運動系はからっきしです泣)。 今でも時間も忘れて夜更かししてしまうほど大好きです。

歯医者としての仕事もそれに通ずるところがあって、我ながら「この仕事、自分に合ってるなあ、この職業を選んでよかった」と常々思います。 自分の特技を生かして、微力ですが地域の皆様の口腔トラブルに貢献させていただけるというのは、本当にありがたく、嬉しいです。

プライベートでは二児の母でもあり、日々子育ての幸せさ・難しさをかみしめながら生活しています。 子育ての経験(まだ浅いですが)も生かして、お子様の口腔ケアについてもお伝えできたらと思います。